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文久3年9月19日(1863.10.31):
【坂】長州藩邸、家老上京不可の朝命に従うと決める
【京】桂小五郎退京・帰国へ
【京】二条斉敬右大臣に内覧宣下/
【江】横浜鎖港(12)四国公使、幕府との会見に応ぜず

■長州の嘆願
【坂】文久3年9月19日、大坂の長州藩邸は、家老根来上総の上京不可の朝命に従うと決めました。

根来は同月13日に藩主毛利敬親の嘆願書を携えて大坂に到着しました。京都留守居役の乃美織江からこのことを報じられた朝廷は、同17日に根来の上京不可を決め、乃美に嘆願の趣を聴取して上申するよう命じました(こちら)

この日、乃美は下坂して根来に面会し、朝命を伝えました。大坂藩邸では、押して上京を請うべきだとの意見を強硬に主張する者もいましたが、結局、朝命に従うことに決し、根来は乃美に嘆願書を託しました。

***
同日、京都に潜伏していた長州藩士桂小五郎が帰国するために退京しました。(他の潜伏藩士は12−13日頃に京都を出立していましたこちら。桂は正親町三条実愛から敬親に宛てた書を携え、この日、京都を出発しました)。

関連■テーマ別:「長州処分」「長州進発&家老の上京・嘆願」■長州藩日誌文久3
参考:『修訂防長回天史』p552

【京】文久3年9月19日(1863年10月31日)、二条斉敬右大臣に「内覧」が宣下されました。

関連:■「開国開城」「大和行幸計画と「会薩−中川宮連合」による禁門(8.18)の政変
参考:『七年史』ニ(2004.12.1)

■横浜鎖港問題
【江】文久3年9月19日、米・英・仏・露の四国公使は幕府との会見に応じませんでした。

幕府は、同月14日に米蘭の公使を軍艦操練所に呼び出して横浜鎖港交渉を開始しましたが、両公使はその旨は受け入れ難いと答え、その上で重大事なので本国に問い合わせ、また英仏公使にも相談せねばならないと述べていました。(こちら)

幕府は、今度は、19日に米・蘭・英・仏の四公使と会見しようとしましたが、公使らは用があれば書簡ですむので出府には及ばない・・・と応じませんでした。

関連:■テーマ別文久3年:「横浜鎖港交渉
参考:『徳川慶喜公伝』2(2004.12.1)

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